小フーガト短調


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 ↓まずは先に音楽をスタートしましょう

※4:12
 今回ご案内するのは、「小フーガト短調」です。おそらくオルガン曲の中で最もよく知られている曲2つのうちの1つです。普段、クラシック音楽やバロック音楽に関係なく過ごしていらっしゃる方でもおそらく聞いたことがあると思います。
 正式名称は、ヨハン・セバスチャン・バッハ作曲、フーガ ト短調 BWV578 です。しかし、「小フーガ」という呼び名が定着しています。
 なぜ小フーガと呼ばれるかというと、バロック音楽が今の時代に流行し始める黎明期、レオポルド・ストコフスキーという指揮者がバッハのオルガン曲などをオーケストラ用に編曲し、演奏。積極的に録音を行っていました。その中で特に、このフーガト短調BWV578と、幻想曲とフーガト短調BWV542のフーガの部分だけを取り出した編曲とが有名となり、両方ともト短調のフーガであったため、演奏時間の短い方のBWV578の方が小フーガト短調、長い方のBWV578の方が大フーガト短調と呼ばれるようになった、ということです。
 その後、大フーガの方は元々フーガ単独で存在しているわけでは無く、そのまま人気は下火になっていき、大フーガと言っても知ってる人はあまりいない(むしろベートーヴェン作曲の弦楽四重奏曲を指す)、という状況になったのに比べ、小フーガの方は人気が衰えず、様々な音楽の領域の人が自分の領域(いろいろな楽器奏者がその楽器用に とかいろいろな音楽ジャンルの人がそのジャンル用にアレンジして――ジャズ版なんかも結構あります)用に編曲して演奏し、またオルガニストの重要なレパートリーになるなどして、その人気は衰えるところを知りません。最近でも、「初音ミク」版がYoutubeなどにアップロードされてたりなど、多くの人がいろんな演奏を試みています。もちろん、イージーリスニング用、名曲集、BGMとしてなど一般的に幅広く演奏され、録音され、頒布され、聴かれ、親しまれています。
 さて、なぜこの曲が、これほどの人気なのでしょうか。
 それは、聞いてみれば分かります!!
 その美しさ。思わず魂を吸い込まれそうになる部分があちらこちらにあります。そのスピーディーな展開。飽きたりダレたりする隙間がなく、グイグイと引き込まれ、エンディングの和音まで、ヘタしたら息をするのを忘れてしまうほどの音楽です。そして最後の長調に変換された、いわゆるバッハ終止(正式には「ピカルディ終止」)の和音で終わると、はぁぁ〜と思わず感動のため息が漏れてしまいます。
 「小」フーガと称されてはいますが、フーガの簡易版とかサブセットとか不十分な形のフーガではなくて、形式としても完璧にフーガとしての様式を調えた一人前のフーガです。
 バッハはフーガを非常に多数作曲しています。現在でも新譜(新しい録音)が出続けている「平均律クラヴィーア曲集」第1巻&第2巻。両巻とも、各調性の24曲が入っていますが、これらの曲は「前奏曲とフーガ」です。1曲当り1つの前奏曲と1つのフーガからなっているわけです。バッハはこういう形式での曲を多数残しています。前奏曲とフーガ、トッカータとフーガ、幻想曲とフーガ、パルティータとフーガなどなど。むしろ小フーガのようにペアになっていない単独のフーガの方が珍しいくらいです。非常に多数のワルツ(とかポルカとか)を作曲したヨハン・シュトラウス(2世)が「ワルツ王」と称されるならば、バッハをして「フーガ王」と称することに異議を唱える人はいないでしょう。
 つまりバッハは、職人としてのフーガ作りでは史上最高の存在、史上最高の匠です。そのバッハの作ったフーガの中でもこの小フーガは他の追随を許さないほどの名曲です。
 では名曲である理由を挙げていきましょう。
 この小フーガも踏襲していますが、4声の定型的フーガは、まず最初のパート(小フーガではソプラノパート)が主題を提示します(主唱)。すぐ5度上の調(属調)に転じて(移調のための自由句)、次のパート(小フーガではアルトパート)が同じ主題を演奏し(応唱)、ソプラノパートはそれに絡んで別の新たな旋律を演奏します(対唱)。そして、また元の調に戻り(移調のための自由句)、3番目のパートが主題を演奏、そして、また属調へ移って、4番目のパートが主題を演奏、それから対位法的技法を使った自由な展開部分が続きます。
 そういうある程度の形式があるのですが、バッハの多くのフーガは、対位法的展開がし易いことを考慮して主題を選んでいるところがあります。また移調の部分などでどうしても、ある程度の作業的部分が生じます。
 ところが、この小フーガでは、そのような形式から来る制約を一切無視して、芸術性優先で主題が作製されています。主題を聞いただけでその魅力の虜になる、そのような極めて美しい主題です。まあこれは大フーガやBWV番号でその前後のほんの数曲に含まれるフーガの主題には当てはまります。バッハが音楽性に本気を出している曲達です。その中でも、この小フーガでは、主題がとても美しいだけではなく、対唱も、移調のための自由句も芸術的で極めて美しく、魅力的です。その後の展開も、フーガの形式的なところ技術的なところは完璧にこなしながら、一方で、どの部分もまさにそういう技術的な事とは関係なく芸術的で惚れ惚れするくらい美しいのです。極めて完成度の高いフーガで、まさに「奇跡の1曲」と呼んでいいフーガです。バッハの他のフーガでさえ足もとに寄せ付けないほど、ダントツに完成度の高い、フーガ・ザ・パーフェクト、それがこの小フーガです。
 聞く立場としては、フーガの形式とか関係ないわけで、小フーガ人気は、その聞いての美しさ、芸術性にあるわけですから、そこでまず多くの人を魅了する至上のレベルです。そしてフタを開けて中身を見ればそこには完璧なフーガの技術が見えてさらに驚き感動する、そういう感じですね。
 おそらくこのフーガを越えるフーガはこれまでも無かったし、今後も無いと言えると思います。

音楽終わっちゃいましたか?
↓では、オーケストラ編曲版をお楽しみください。ストコフスキーの音源はさすがに聞きづらかったので、これはハリス編をユージン・オーマンディ指揮、フィラデルフィア管弦楽団が演奏したものです。

※3:46


 ところで、このページを書くに当たって、動画の音源を調べていたら、コメント欄に「ハゲの歌だ〜〜ww」、「ギャハハハ ハゲの歌」みたいなコメントを多数見つけました。他のコメントにも、「音楽の授業でハゲの歌が出てきて思わずワロタww 元曲有ったのか!」みたいなのも。いったいこれって? 
 ??? と思って調べたら、このメロディーに合わせて「あ〜な〜た〜〜〜は髪の毛ありますか」という歌詞をつけた「ハゲの歌」という動画が見つかりました。
 何ですとっ!
 これはとんでもないことです。小フーガの本物に接する前にこの紛いものを聞かされたりしてたらとんでもない不幸です。
 本物のジャスミンの香りを知らずに入浴剤で馴染み、ジャスミンティーを飲んだらお風呂のお湯を飲んでる気しかしない、とか、本物の金木犀の香りを知らず、本物の香りがどこかから香ってきたときに、なにかいい香りが〜ではなくて、トイレの芳香剤が臭ってきたと感じてしまう、という精神生活を送ってしまう不幸のさらに100万倍くらい不幸です。音楽の授業でこの曲を初めて聞いて、その反応が「ギャハハハ〜ハゲの歌だ!!」ですと〜〜?! こんな罰当たりな歌詞付けて流布させたヤツ、ちょっとこっちに来なさい。小一時間問詰めたい。そして、一生もう二度とバッハの曲が聴けない刑に処したい。え?聴かなくても平気? さいですか。


 閑話休題。
 鍵盤弾き達の間では、この曲に憧れてオルガニストを志すという人を量産し、そしてまた、その難しさによってその心を折るという罪作りな曲としても有名であります。
 鍵盤楽器的な演奏技術的にどのくらい難しいのかは私には分かりませんが、そもそもオルガンという楽器自体が非常に特殊で、演奏は非常に難しいと予想されます。
 まず、オルガン(パイプオルガン)という楽器の特徴として、演奏の場と、実際に音が鳴る場所とかかなり離れている、という特徴が有ります。さらに、基本的には教会に備え付けられている、日本ではだだっ広い演奏会場に備え付けられちゃう、という状況がありまして、とにかく残響が長いんです。そもそもその残響まで含めてオルガンの音といいますか、たとえて言えば、ギターだと弦が鳴って、それが胴に共鳴しますよね。その共鳴を含めてはじめてギターの音なわけです。パイプオルガンはその共鳴する胴の中に演奏者も聴衆も入っちゃっているような、他の楽器にはない特性があります。
 そこで生じる問題は、まずタイムラグ。鍵盤を押すとパイプ自体の音はほとんどすぐ鳴り始めますが(低い音だとそこにもタイムラグが生じますが)、その音が演奏者や聴衆に届くのにちょっとタイムラグを生じます。そしてそれが響くのにまた少し時間がかかり、音が消えていくのにはかなりの時間がかかります。
 時々、オルガンの動画のコメントに、音と画像のシンクロがズレてなければもっといいのに、みたいなコメントがついているような動画がありますが、動画作成上の問題ではなく、オルガン(の設置されている環境)によってはそれくらいの音のずれが生じるわけです。なので、演奏者は常に実際の音がほんのちょっぴり遅れるのを耳にしながら、しかしその遅れを気にせずに次の演奏操作をしなければならないわけで、ピアノが上手に弾けるからオルガンが上手に弾けるわけではないわけです。さらに、音が切れるのに時間がかかる、ということは、重ねると汚い音になる場合には、ピアノでは単にレガートにしない、つまりノンレガートで弾けばいい訳ですが、オルガンではもっと短めに鍵盤から指をあげないといけません。それらのタイミングは、オルガンの設置状況によって違います。オルガンは自分の慣れ親しんだ楽器を持ち歩いて演奏するわけにはいかないわけですから、いろいろな会場でオルガンを弾くオルガン奏者のその適応力の必要性たるや凄まじいものがあるわけです。動画によっては、演奏者はかなり短く鍵盤から指を離しているのに、実際に聞こえる音は綺麗にレガートで聞こえる、というものも有りました。そういう事なのです。

 しかも、演奏する場所が必ずしも結果としての音の鳴り具合をチェックするのに適切な場所ではなかったりします。だから現代技術を駆使するならば、リスニングポジションにマイクを設置してその音をヘッドホンで聴いてチェックしないと真の弾き方の調整は難しいとさえ言えます。オルガンを演奏する難しさというのはそういう所から本質的に生じるものだと思います。指的な難しさなら、おそらくもっと難しいピアノの曲はたくさんあるだろうし、足まで使うとかの問題だったらエレクトーン系の奏者は足での演奏は平気でできますからね〜。


 あ、そろそろ音楽終わっちゃいましたか? 冒頭でご案内したオルガンでの演奏は、ヘルムート・ヴァルヒャの演奏ですが、バロックブーム黎明期にはマリー・クレール・アランの演奏も有名でした。
↓では マリー・クレール・アランの演奏でどうぞ。最後の和音が消えていくところで、かなり音響が続く会場であることが分かりますが、途中では、そういう残響が気にならない演奏です。よく聞けば残響が「程よく」加算されて豊かな背景の響きを作ってたりするのも分かります。演奏の「速度」も、そういう事から逆算すると、有る一定の速さより速くひくのは結果としての音の響きが急速に悪くなると考えられます。この演奏はやや遅めと感じる人も多いかと思いますが、色々とよく考慮に入れた結果の演奏なのだと思います。

※5:06
↑アナログレコード再生時の特徴であるプチプチ音が入っていて何か懐かしい雰囲気ですね〜(⌒∇⌒;) 。


 さて、そういうオルガンという楽器の特徴を踏まえてオルガンのいろいろな演奏を聴いていくと……響きがあまり綺麗ではない、混ざってはいけない音が混ざっちゃってる、そういう演奏が非常に多いですね。時々、あ、これは良いと思って目を開けると、MIDI打込みだったりします。そりゃタイムラグは生じないし、音は混ざらないわな。


 ということで、音源は非常にたくさんありましたが、なかなかご案内できるオルガンでの演奏の音源はここでご紹介した分だけでした。 え? バッハ自体そんな事気にせずに弾いてたんじゃないかって?
 バッハは当時は、作曲家としてよりもオルガン演奏家として有名でした。超一流オルガン奏者として知られており、一度他のオルガン奏者が弾き比べの試合?を申込んだあと、バッハの演奏を聴いて逃げ出したというエピソードが残っているそうです。バッハ自身いろいろな教会にパイプオルガンを設置するときに、調整を依頼されていたりしているようです。その時に3度はちょっと高めに……とよく指示を出していたとか。純正律から平均律の方向へと(実際には平均律まではないとは思いますが)修正させていたわけですね(^^) というようなバッハがオルガンのそのような特徴に気が付かないわけも無視するわけもあり得ないとは思いませんか? そこまで完璧に考慮に入れて演奏するからこその超一流オルガン奏者だと皆の舌を巻かせていたのだと思います。

↓なので最後は、オルガンでの演奏ではなく、いろんな領域での編曲版があるといいましたが、その一つ、リコーダークヮルテット版をどうぞ(^o^)ノ

※3:40
↑もう最初っからリコーダークヮルテットの曲だったのではないかと思いたくなるほど、すっかりリコーダー曲としての演奏になっております。途中でカチャカチャいう音がはいっていますが、バスリコーダーやテナーリコーダー(の一部)にはキーが付いておりまして、そのキーの操作音ですね。


↓最後に、ジャズ版もありますと書いたので一応ご案内します。やっぱりバッハの曲のジャズアレンジといえば、ジャック・ルーシェ・トリオですね(^o^)ノ

※2:50
 最初、いかにもジャズ的雰囲気で始まりますが、テーマが始まると原曲にあまりにも忠実で、ジャズらしさってここまで? みたいな感じで聴いていると、展開部に入った途端に、バッハの展開ではなくて、ジャズ的展開になってておおお〜ってなりますね。これはもう、バッハのテーマによるフーガ的ジャズ、みたいな感じでなかなかにいい味です。


 ということで……どんな楽器用にどんな編曲をしても、その美しさは変わらず人を魅了する。(ただし変な歌詞付けは駄目よ)
 そんな小フーガト短調を堪能して戴けたのであれば幸いです。

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