パッヘルベルのカノン


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 ↓まずは先に音楽をスタートしましょう

※7:17
 この曲は「パッヘルベルのカノン」として広く知られており、BGMやイージーリスニング、癒しの音楽、名曲集など様々なところでお目にかかれる曲です。さらになぜか、結婚披露宴や卒業式の定番になっていたりするようです。『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』(1997)のエンディングで流れていたそうです。今調べていて初めて知りました。
 正式名称は、ヨハン・パッヘルベル(Johann Pachelbel)作曲の「3つのヴァイオリンと通奏低音のためのカノンとジーグ ニ長調」のカノンです。「カノン」と「ジーグ」がペアになっているのは「前奏曲とフーガ」と同じ様な感じですね。このようなセット曲はつづけて演奏はされますが、前の曲が完全に終わってから次の曲が始まるので、片方だけ取り出して演奏することも可能なわけです。
 どういう経緯でこの曲が有名になったのか、自分は知らなかったので調べてみましたが、良く分かりませんでした。いつの間にか?有名に?
 ただ、演奏としては、バロック音楽ブームの黎明期には、ジャン=フランソワ・パイヤール(Jean-Francois Paillard)指揮のパイヤール室内管弦楽団(Orchestre de chambre Jean-Francois Paillard)の演奏が非常に有名で、この録音のヒットが流行のきっかけかもしれません。冒頭の音源も、このパイヤール指揮パイヤール室内管弦楽団の演奏で、とても懐かしいものです。
 このパイヤールの演奏のイメージは非常に強く、そのため、出だしの通奏低音パートには、この通りの分散和音が奏されなければ、何か「これじゃない」感じがしてしまう人も多いのではないかと思います。ただこれは通奏低音なので、鍵盤楽器の右手部分、つまり和音を弾く部分は数字付き低音、今でいういわばコード記号でしか指定されておらず、和声を外れなければ自由に弾く習慣です。なので、ここの部分をどうひくかは通低奏者のセンスの見せ所でもあるわけで、パイヤールの演奏のような分散和音でなければならないということはありません。むしろ、パイヤールの演奏の方が珍しいと思いますが、まだ古楽器で演奏というようなことがなされる前の時代ですから。
 パッヘルベルはドイツ語読みだと多分、パッフルブルのような発音になると思います。大バッハの25年前に生れた、南ドイツを代表する後期バロックの作曲家・オルガン奏者で、ドイツには珍しく、明るい明快な和声的対位法を好んだ人です。多くのコラール曲を残し、「パッヘルベル・コラール」と呼ばれるコラールの様式を確立した人でも有ります。ドイツ・イタリアの音楽にも影響を与えた、とのことです。当時から有名な音楽家であったそうで、音楽家一族として知られるバッハ家とも交流があったそうです。大バッハが9歳の時に34歳のパッヘルベルと会った可能性も指摘されています。
 カノンというのは、有る旋律の演奏が始まったあと、ある拍数をおいて他の声部が同じ旋律を重ねて演奏するという音楽の形式・作曲技法の一つです。フーガに比べると自由度が少ない(最後を揃えるために切り揃える以外は基本的には最後まで全く同じ旋律を各声部が演奏する)ので、それほど多くの作品が作られているわけではありません。同じ旋律を重ねるといっても、同じ音程で重ねるのは一度のカノン(同度のカノン)、重ねるときに一音上げて重ねるのを二度のカノン……というように、重ねていくときに音程をずらすという手法もあります。その中で一番作曲が簡単なのが一度のカノンで、それ以外の手法で芸術的な価値のある曲を作るのは至難の業です。私は、一度のカノン以外で芸術的な価値のあるカノンはバッハの曲でしか知りません。
 一度のカノンでもっとも知られているのは、「カエルの歌」でしょう。一つの旋律を2小節遅れで追いかける形で合計3声で演奏されるカノンですね。カエルの歌では通奏低音がないので別に和音にしばりがあるわけではありませんが、基本的に最初から最後までTの和音(主和音、トニック・コード、いわゆるドミソの和音)です。ずっと和音が変わらないのである意味単純です。
 パッヘルベルのカノンでは、最初に低音が8拍(2小節)提示され、その低音による和音が規定されます。普通通奏低音は「数字付き低音」とも呼ばれ、数字によってコードを指定する形式で記譜されます。パッヘルベルの手による低音についている数字を確認しようとしたのですが、分かりませんでした。習慣的には、T(ドミソ)-X(ソシレ)-E(ラドミ)-B(ミソシ)-W(ファラド)-T(ドミソ)-A7(ファラドレ――第1転回形)-X(ソシレ)のコードがつけられます。そして最後まで延々と同じ物が続きます。通低奏者にとってはある意味退屈極まりない曲ですね〜。そして、おもむろにテーマが出てきて、2小節(8拍)遅れて、次の声部が同じテーマを演奏し、さらに2小節(8拍)遅れて3番目の声部がテーマを演奏し、最後に切り揃えるまで延々と模倣を続けていきます。出現するコード展開もずっと同じですね(演奏によってはたまに4番目の和音がミソシ♭に変異したり、8番目の和音が単なるファラドだったりします)。ということで、カノンとしての作曲技法的には、非常に単純でそこには技巧はあまり見られませんので、低く評価する人もいるようですが、多くの人に愛される理由は、譜面を見ないと分からないところではなく、演奏されて出てくる音楽の美しさや素晴らしさなのですから、単純な技法によろうと、複雑高度な技法によろうと、「それを感じさせずに」純粋に音楽の出来映えで評価するのが、正当な音楽の評価であろうと思います。

↓ということで、楽譜付きの音源をどうぞ。

※4:05
↑この演奏では、各パート一人で演奏していて、通奏低音は低音の弦とパイプオルガン(多分ポジティブ・オルガン)による演奏です。出だしのところで、オルガン奏者がちょっと耳慣れない音を弾いていると思いますが、このようにコードから逸脱しなければ、演奏者が自由に弾いていいのです。もちろん聴衆がいることを忘れてはなりませんが(;^_^A
 さて、この動画では、最初に、4つの声部が見えています。ヴァイオリンのT、U、Vとチェロと書いてあります。バイオリンのT、U、Vは実は全く同じ旋律が書いてあります。バイオリンのT、U、通奏低音の3小節めの頭にセーニョ記号が書いてありますが、これが、次の声部スタートの印です。通低がまずスタートして、3小節目のセーニョが来ると、ヴァイオリンTがスタート。そしてヴァイオリンTの3小節目のセーニョが来るとバイオリンUがスタート、そして、ヴァイオリンUの3小節目のセーニョが来るとヴァイオリンVがスタートです。最後は普通、テーマが終了したところで、音を延ばしてエンディングとします。つまりヴァイオリンUとVは最後まで行きません。譜面は同じ1本の旋律を見ながら全員がひいても良いのですが、ちゃんと各声部の楽譜に書き写す場合には、この最後で延ばす音の上にフェルマータをつけておきます。「延ばす」と書きましたが、普通延ばすのですが、この動画の演奏は延ばさず1拍で終わってますね。まあそこんところも単なる習慣で、決まったルールといったわけではありません。短いカノンだと、短すぎるので、2周回って終わることもあります。曲によっては、途中に終わるポイントがあったりします。その時にも1周回ったあとさらにそこまで来て終わります。
 この同じコードが繰返される一度のカノンは、繰返される和音の和音構成音から旋律を作れば、比較的簡単に作ることができます。なので、「いい曲」になるかどうかはいいメロディーを作ることのできる才覚次第ということになります。腕に自信のある方はお試しください。パッヘルベルのカノンの偉大さが改めて感じ取れることと思います。

↓さて古楽演奏(?)をもう一つ。色々漁った動画の演奏の中ではこれが一番気に入ってしまいました。

※5:41
↑これは演奏者は2人だけで、バイオリンT〜Vが同一人物、チェロとチェンバロが同一人物ですね。最近は1人で何重奏もできますので、器用な人はいろいろと作っているようです。今までは人が揃わなければできなかったことが1人とか少人数で出来るようになりました。良い世の中ですね。
 最初の音だけ中央ですぐ右端にパンされたり、途中でヘリコプターが飛んで、ヘリコプターの音が入っていたりしますが、多分わざと(コピー・盗用防止)でしょうね。最後にもヘリコプター画像を加工して遊んでますし。全体に遊び気分が一杯で、とても楽しいです。
 ヴァイオリンも自由に装飾を入れて弾いていますね。楽しそうです。

 ところで、この曲は「カノン」としてみられるのが普通ですが、というか、カノンですから、それが当り前なのですが、別の見方をすることもできます。それは、定型のベースによる「主題」があり、上声部が色々なメロディーをそれに乗せていく、という形式の音楽が有って、「変奏曲」というカテゴリにはいります。変奏曲というと、モーツァルトの「キラキラ星変奏曲」のように、変奏を受けるメロディーは上声部にあって、メロディーそのものが色々な修飾をうけていくものをイメージしますが、バロック時代には、変更を受けないテーマを低音部が奏して、その上に様々なメロディーをつけていく、という形の「変奏曲」、たとえば「パッサカリア」や「シャコンヌ」という形式があります。そういう目でこのパッヘルベルのカノンを見ると、2小節、8音の定型主題をバスが繰り返し演奏して、その上に様々なメロディーを上声部が奏でる、まさに変奏曲となっています。その変奏がさらに、カノンになっている、という形式と言えます。なぜなら、カノンであるからといって、ずっと同じ低音部の繰り返しの上に成り立つ必要は無く、むしろ低音部は、上声部のカノンの絡みによって適宜変わっていく方が変化のある良いカノンと言えるからです。それをあえて固定の低音にしたのは、作曲のしやすさ、明快さということもありますが、「変奏曲」という形式を意識したものと言えましょう。「変奏曲」としてみた場合には、さらにそれがカノンになっているという点でポイントが高いものになっていると言えましょう。

 さて、パッヘルベルのカノンに見られるコード進行は非常に耳に馴染みやすく気持ちよいので、現代におけるバロック音楽の後継者といわれているポピュラーミュージックの世界では「カノンコード」として、耳に心地よいコード進行の代表のようになっているようです。別名一発屋進行で、なかなか陽の目をみない売れない作曲家でも、このコードで作った曲はたまに大当たりして世に出ることがあるけど、結局後が続かず一発屋になってしまう、そういうジンクスのようですね。もちろんその業界の自虐的ネタだと思います。あるいは、パッヘルベルに、カノンに続くような有名曲がないことにあやかって(?)の命名かもしれませんね。


↓最後に2曲目の「ジーグ」まで含んだ演奏を聴いてみましょう。

※6:14 ジーグは4:06〜
↑ ジーグまで聴くと、なぜカノンだけが演奏されているか分かると思います。ジーグは当時の普通の対位法技法で作られていますが、パッヘルベルが好んだと言われる明るい明快な和声となっており、決して駄作ではない、それなりの良さの有る曲です。が、如何せん、あの「パッヘルベルのカノン」の前では、霞んでしまうのですよ。どうでもよい付け足しのようになっちゃってます。パッヘルベルの思惑を越えてカノンは名作の高みへとさっさと登って行ってしまったのでした。相棒のジーグばかりでなくパッヘルベルの他の作品も追いつけない高みへと。


 パッヘルベルのカノン、ご堪能いただけのであれば幸いです(^o^)ノ


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